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楽天市場のギャラリーダッドアートで買う

中山忠彦 小憩 リトグラフ 1988

 作家名 中山忠彦  制作年 1988  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦49.6X35.7cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦76.3X横56.1cm  限定 75部  サイン 中山忠彦鉛筆サイン  額の仕様 金額縁  マット 薄クリーム紙マット  額の状態 新  品 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中山忠彦年譜(1935- ) 1935 3月20日福岡県小倉市に生まれる 1944 戦争激化に伴い両親の出生地に疎開 1953 上京し大垣誠三氏より伊藤清永氏に紹介される     伊藤清永先生の紹介で阿佐ケ谷洋画研究所に入     る(三輪孝氏主宰)     県立中津西高を卒業     東京芸術大学を受験するも不合格     岩崎電気株式会社デザインのアルバイトをしな     がら夜間阿佐ケ谷洋画研究所に通う     伊藤絵画研究所が開設され内弟子として入門 1954 第10回日展に「窓辺」60号が初入選 1958 白日展に「群像」を出品、会員に推挙される 1966 市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居    (現市川グランドホテル) 1968 大阪・日仏画廊にて初の個展 1969 彩壷堂にて個展 1974 リトグラフ集「Les Trois Femmes」を出版 1979 石版画集「粧」を出版 1980 白日展に「妝う」80号を出品し、内閣総理大臣賞を     受賞 1981 石版画「花かざりの帽子」を刊行     銅版画集「優しき相貌」第1集を刊行 1982 石版画「妝」を刊行(大日本絵画刊) 1983 「中山忠彦画集」を出版(求龍堂) 1984 石版画「襟飾り」を刊行     銅版画集「優しき相貌」第2集を刊行 1985 「昭和世代を代表する作家シリーズ中山忠彦展」     開催-新宿伊勢丹・名古屋松坂屋・大丸心斎橋・     福岡県立美術館を巡回 1987 石版画「羽根かざりの帽子」を刊行 1988 日展会員となる    「中山忠彦作品集」を出版(講談社) 1989 大分県中津市に木村記念館が開館、     作品が常設展示 1990 国際花と緑の博覧会の迎賓館・政府苑貴賓室に     「花装」がされる展示     同博覧会協会の依頼により石版画「双花」を制作     する 1991 銅版画集「優しき相貌」第3集を刊行 1994 石版画「ローブ・ド・パル」を刊行 1996 日展に「華粧」100号を出品し、内閣総理大臣     賞受賞 1998 「黒扇」にて日本芸術院賞受賞日展理事となる     日本芸術院会員となる 1999 日展常務理事となる 2001 日展事務局長となる     市川の文化人展「洋画家中山忠彦・美の世界展」     を開催     松屋銀座にて「デッサン展」を開催    (朝日新聞社主催) 2002 日会会長就任     市川市文化振興財団理事となる 2007 市川市市政功労賞受賞     北九州市民文化賞受賞 2009 日展理事長就任(~'13)     中津市民栄誉賞受賞 2014 市川市名誉市民として顕彰される 2015 市川市文化振興財団理事長就任     日展理事を退任し、新顧問に就任 2019 旭日中綬章受章中山忠彦 小憩 上品で端正、甘美、清麗典雅な永遠の女性美を描く中山忠彦

版画 -> 石版画(リトグラフ)

杉山寧 浹(ソウ) リトグラフ 1994

 作家名 杉山 寧  制作年 1994  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦41X横54.5cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦62.8X横75.3m  額の状態 左下に僅かな傷有  限定 235部  サイン 杉山寧鉛筆サイン  落款 「杉」朱 落 款  額の仕様 銀額縁 格安卸価格税込99,360円 定  価120万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 杉山寧年譜(1909-1993) 1909 東京・浅草に生まれる 1929 東京美術学校日本画科入学 1931 帝国美術院第12回美術展覧会に「水辺」が入選 1932 第13回帝展に「磯」が特選 1933 東京美術学校日本画科卒業     卒業制作「野」は首席となる 1951 長い沈黙を破り第7回日展に「エウロペ」発表 1956 雑誌「文藝春秋」4月号から、安井曾太郎の後と     を引き継いで同誌の表紙絵原画を制作する    (~1986) 1957 第12回日展出品作「孔雀」が第13回日本芸     術院賞受賞 1960 東宮御所のために果物を描いた「静物」制作     宮内庁の依頼で「奏」を制作(現在皇后新宮殿    「連翠」の間に掲げられる) 1970 日本芸術院会員に推挙 1971 日展の常務理事となる     初の回顧展「杉山寧展」を開催 1974 文化勲章を受章,併せて文化功労者となる 1987 杉山寧展開催(東京国立近代美術館     ・富山県立近代美術館) 1991 東京都名誉都民となる 1992 「杉山寧の世界」展開催(東京近代美術倶楽部)    「淑」制作 1993 10月20日逝去 享年84歳杉山寧 浹(ソウ) 斬新な構図、重厚な質感と明朗な色彩 で気品ある画面空間を獲得した杉山寧

版画 -> 石版画(リトグラフ)

ジャン ジャンセン 日よけ帽子 リトグラフ 1985

 作家名 ジャン ジャンセン  制作年 1985  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦71.5X横52cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦95.2X横73.3cm  額の状態 僅かに傷有  限定 EA(通常限定80部)  サイン ジャンセン鉛筆サイン  額の仕様 金額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込89,640円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ジャン ジャンセン年譜(1920-2013) 1920 アナトリア北西部の町ススルルク(Susurluk)     において、製糸工場を営んでいたアルメニア     人の父(ミリ・ジャン)とトルコ人の母(アレッ     ク)の間に誕生     戦渦を逃れて渡ったギリシャのサロニカで少     年時代を過ごす 1931 一家でフランスに渡る     怪我の治療で入院していた3年間のなかで、画家     になる決心をする 1938 パリ装飾美術学校を卒業     モンパルナスのグランド・シュミエール等様々     なアトリエで絵の勉強をする 1939 サロン・ドートンヌ展、アンデパンダン展、サロン     ・デ・チュイルリー展、エコール・ド・パリ展、時代     の証人画家展に出品する(-1946) 1942 結婚、ギリシャで漁師と子供達を描く 1946 アカデミー・グラン・シュミエールに通い様々     な画家との親交を深める(-1948) 1951 ポピュリッツ賞受賞     スペインで民衆を描く 1953 アントラル賞受賞 1954 フランス国家給費奨学金を受ける 1956 定期的にイタリアに長期滞在し、風景画・人物     画・宗教行列・市場を描く 1958 サロン・デ・ジューヌ・バンチュール(青年     絵画展)の会長に推される      サロン・ドートンヌの会員となる     メキシコのコンパレゾン賞受賞 1959 ブルッヘのビエンナーレ展に参加 1960 以後フランス、アメリカ、イタリア、スイス、     英国等で個展、国際的に活躍の場を広げる 1964 本格的にリトグラフの制作を手掛ける 1966 ヴェネツィアを訪れ運河を描く     国際形象展から招待出品を受ける     以後も最終回となる1986年まで21回招待出品 1967 パリ、パームビーチ、シカゴ、東京、ヨハネス     ブルグ、大阪、アントニー等で「ベニス展」     「ダンス展」「闘牛展」「デッサン展」「過ぎ去っ     た時展」「風景展」 「イタリアの風景展」「仮面     舞踏会展」「マスク展」 「回顧展」「石版画展」     「宗教行列展」「パステル・グワッシュ・デッサン     展」「カーニバル展」等を開催     モーリス・ガルニエ画廊で「ヴェニス」展 1969 モーリス・ガルニエ画廊で「ダンス」展     東京の三越で初の個展     さいたま市、安曇野市に作品を常設展示する     美術館設立 1971 モーリス・ガルニエ画廊で「闘牛」展 1973 モーリス・ガルニエ画廊で「人物と構図」展 1975 モーリス・ガルニエ画廊で「時の流れ」展 1977 モーリス・ガルニエ画廊で「イタリアの風景」展 1978 ギャラリー・マティニオンで「マスカレード」展 1979 ザ・エペラッド・レード・ギャラリーで回顧展    (ヨハネスバーグ) 1980 ギャラリー・マティニオンで「仮面シリーズ」展 1984 ジャンセンカタログレゾネが出版される    (フランコニー社刊) 1996 安曇野ジャンセン美術館、大丸ミュージアム、     ナビオ美術館で回顧展開催    「愛と哀しみを描いて60年」展開催 1999 安曇野ジャンセン美術館で特別展    「風景と静物画展」「花と踊り子展」を開催 2000 ギャラリーマティンオンで「My tholigies」     展開催     東京にジャンセン美術館設立     安曇野ジャンセン美術館で特別展    「デッサン展-65年のあゆみ-」を開催 2002 アルメニアアに招待を受け、アルメニア正教会の     成立1700年を記念し同国立館にて大々的に「虐     殺展」開催     アルメニア国家勲章を受章    (カラヤン、シラク仏大統領に続き三人目) 2003 フランス国家勲章、レジオン・ド・ヌール勲章     受章 2013 8月27日、フランスにて逝去 享年93歳ジャン ジャンセン日よけ帽子 卓越したデッサン力で、繊細な描写表現と華麗に して落ち着きのある色彩で人間の内面や現代の苦 悩を強い描線で描く、魂の画家ジャン ジャンセン

版画 -> 石版画(リトグラフ)

ジル ゴリチ コートダジュール 油彩10号

 作家名 ジル・ゴリチ  技法 キャンバスに油彩  絵サイズ 10号(縦55X横46cm)  絵の状態 良  好  額サイズ 縦75X横66cm  サイン ゴリチ油彩筆サイン  額の仕様 黒金装飾額縁  マット 麻布マット  額の状態 新  品 格安卸価格税込199,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ジル ゴリチ年譜(1938-2019) 1938 ポールアイズピリの長男としてパリに生まれる 1955 グランドショミール・ジュリアン教室にて学ぶ 1956 アントラル賞展に出品     モルヴァル画廊にて個展 1957 青年絵画展に出品     サロン・ドートンヌの会員となる 1958 ギャルリ・ぺトリデスにてグループ展参加    (59・62)     フェリス賞を受賞 1962 青年絵画展入選 1965 この年より、東京・国際形象展出品 1971 ギャルリ・ジュルネにて個展 1976 パリ・サロン・ドートンヌ展出品 1978 ギャラリーためなが東京で初個展     以来日本での評価が高まる 1981 父・アイズピリとともに来日 1983 アメリカ、ウォリー・フィンドレーギャラリー     パリ支店にて個展を開催     引き続き、アメリカ各地(ニューヨーク、シカゴ、     ロスアンジェルス、パームビーチ)同ギャラリー     にて個展を開催 1986 再来日 2012 フランス・Musee Guetharyにてジル・ゴリチ展     開催 2019 1月16日、逝去。享年79歳     葬儀は21日パリ・ノートルダムデション教会     にて行わたれ、モンパルナス墓地に埋葬されたジル ゴリチコートダジュール 油彩10号 明るく鮮やかな色彩で花々をリズミカ ルでダイナミックな筆致で描くゴリチ

絵画 -> 油彩画

小泉淳作 泰山木の花 銅版画

 作家名 小泉淳作  技法 銅 版 画  絵サイズ 縦55.5X横40.5cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦82X横65.4cm  額の状態 ほぼ良好  限定 80部  サイン 小泉淳作鉛筆サイン  サイン 朱落款  額の仕様 燻し金額装  マット ベージュ紙マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる     世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退     東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる     伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める     第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選     第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選     鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの     幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作     る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選     陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選     第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展     この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選     この年の石油危機を境に、生活の手段であった     デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ     る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選     以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」     小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊)     「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声     海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊)    『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座)    『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座)    『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座)    『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去     日本橋・壺中居にて陶芸展     酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催     鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越)     浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成     東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催     第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要     鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要     北海道中札内村に小泉淳作美術館開館    『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」     第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納     日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后     1250年御遠忌     東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆     尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・     小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去     享年87歳小泉淳作 泰山木の花 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作  

版画 -> 銅版画(エッチング)

ルイ イカール シルクのローブ 1926 エッチング アクアチント

 作家名 ルイ イカール  制作年 1926  技法 エッチング、アクアチント  絵サイズ 縦38.1X横47cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦65.5X横72.5cm  額の状態 新  品  サイン イカール鉛筆サイン  額の仕様 黒金額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込159,840円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ルイ イカール年譜(1888-1950) 1888 南仏トゥールズ市に生まれる 1904 トゥールズ高等商業学校を卒業 1905 兵役終了後、友人エスキロルと演劇界を目指し     てパリに出る 1908 雑誌「演劇批評」の表紙にHelliの署名でイ     ラストを描くこの頃から画家になることを考え     始める 1911 「バラのメヌエット」「散歩の前に」「オペラ     座にて」等数十点のエッチングを制作 1912 オートクチュールのアトリエで知り合った年上     の未亡人と結婚する 1913 「演劇批評」での仕事が認められラボエシー画     廊の第3回展に出品 1914 ブリュッセルでファッション誌「ガゼットデュ     ポントン」主催による個展     エリゼ宮で催されたデンマーク国王夫妻歓迎バ     レエのコスチュームをデザイン 1915 長女レーヌ生まれる 1917 ラ・ボエシー画廊の(戦争とユーモア画家展)に     版画4点を出品 1918 戦争をテーマとした作品がエノー画廊の目にと     まり、アメリカ市場に販売開始 1920 シモンソン画廊で油彩画の個展を開く 1922 ニューヨークへ渡る     ニューヨークの画廊ベルメゾンで個展 1923 ニューヨークからフィラデルフィアへ巡回後、     帰国 1927 レオン・ドヌール5等勲章を受ける 1928 コレット著「気ままな小娘」の版画入り豪華本     を手がける 1932 ニューヨークメトロポリタン画廊で、油彩の連     作「白いヴィジョン」の展覧会開催 1933 「椿姫」(デュマ・フィス作)のポスターを制作 1943 モンマルトルの丘に立つモーリスヌーモンの旧     居を手に入れる 1944 パリ解放とともに版画制作を再開する 1950 モンマルトルの自宅で逝去ルイ イカールシルクのローブ ロココ絵画のエロティシズムを源流とし フランスの華やかな女性を繊細なタッチ で、妖艶な魅力を表現するルイ イカール

版画 -> 銅版画(エッチング)

ベルナール カトラン リトグラフ 1995年 紫陽花

 作家名 ベルナール・カトラン  制作年 1995  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦32X横21.5cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦58.7X横47.1cm  限定 EA(通常限定100部)  サイン カトラン鉛筆サイン  額の仕様 金装飾額縁  マット 薄クリーム紙マット  額の状態 新  品 格安卸価格税込118,800円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。ベルナール カトランBernard Cathelin ベルナール カトラン年譜 1919 5月20日パリに生まれる 1939 兵役に志願する 1945 パリの国立高等美術工芸高校に入る     モーリスブリアンション教室で学ぶ(-48) 1948 プラハで開催された国際学生連盟第1回総会に     フランス代表として出席 1950 ブリュメンタル賞受賞 1953 エミリー・ロウ賞受賞 1954 レジーヌ・スタイナーと結婚する 1957 スペインへ旅行     パリ、サン・プラシッド画廊で個展開催 1958 オットン・フリエス賞を受賞     パリ、モンモランシー画廊で個展開催     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     ニューヨークヘラルドトリビューン日曜版の     表紙全面に作品が掲載される 1960 ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催 1961 パリ、マルセル・ギオ画廊で個展開催 1962 メキシコ、ペルー、ブラジルへ旅行     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催 1964 パリ、マルセル・ギオ画廊で個展開催 1965 「ムルロー工房の版画」のカタログにシャガ     ール、ピカソミロらと共に採録される 1966 ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     メキシコ、グアテマラへ旅行 1967 東京、吉井画廊で初個展     シベリア横断鉄道でソ連を経由して、日本、     カンボジア、セイロン、インドを旅行 1968 ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     メキシコ、ニカラグア、ブラジルへ旅行 1971 パリ、パリ画廊で個展開催 1972 モンテカルロのアンドレソーレ社刊ジルベー     ルセスブロン「犬と狼の間」のため、挿絵とし     て9枚のリトグラフを制作 1973 世界一周     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     東京、吉井画廊で個展     初めてのタピスリー『メキシコの市場』をアト     リエ3にて制作     最初の画集「カトラン」をイードエキャランド     社より刊行 1975 パリ、パリ画廊、マルセル・ギオ画廊で個展     東京、吉井画廊で個展(水彩画)     『カルネ・ド・ヴォワイヤージュ(デッサン)』     を東京、吉井画廊より刊行 1976 アメリカへ旅行     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     母マドレーヌ・カトラン・テライユの思い出の     ためにリトグラフ50枚をヴァランスの美術     館へ寄贈 1977 ドイツのビブラフ・アン・デア・リス市立画廊     で個展開催 1978 日本へ旅行     東京、吉井画廊で個展開催     ベルギーのアントワープ、BP画廊で個展開催     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催 1980 ニューヨークへ旅行     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     ヴェネズエラへ旅行     フランス、カヴァイヨンのグラン・クヴァン     チャペルで個展 1981 ヴェニスへ旅行     スイス、ヌーシャテルのフランソワ・ディツハ     イム画廊で個展開催     東京、吉井画廊で個展開催     画集『カトラン』をイード・エ・キャランド社     より刊行 1982 版画集『俳諧十撰』の準備のため九州に滞在     東京、吉井画廊で個展開催     アントワープ、BP画廊で個展開催 1983 西インド諸島のアンティグアへ旅行     ニューヨーク、デヴィットフィンドレー画廊     で個展開催     東京、吉井画廊で個展開催     俳句に絵をつけた版画集<俳諧十選>出版 1984 東京で「俳諧十選」による小品展     東京、吉井画廊で「四季の花展」開催 1985 スイス、マルチニーのピエールジアナダ財団     でタピスリー展 1986 パームスプリングス、デニス・スティンソン画     廊で個展開催     パリ、アール・フランス画廊で個展開催 1987 シュノンソー城にて油彩、タピスリー、リトグ     ラフ展開催     パリ、アール・フランス画廊で個展開催     東京、吉井画廊で邂逅20周年記念展開催     リトカタログレゾネの出版記念リトグラフ展     開催(大阪・神戸・東京) 1988 ニューヨークのアート・フェアに出展 1989 ロンドン、アート・ロンドン画廊で個展開催     ヴァンクーバー、ブシュレン・モワット画廊で     個展開催     ロスアンジェルス、ガージュ画廊でタピスリ     ー展開催     ドイツのエッセン、ヘルマン画廊で個展開催 1990 ロンドンとニューヨークで個展開催     パリ、ドゥ・フランコニー画廊でリトグラフ展     パリ、ブキヌリ・ドゥ・ランスティテュで「パリ     に捧げる白いバラ屏風展」開催     東京と大阪で開催されたリトグラフ・タペスト     リー展のため滞在中に制作した6点のリトグ     ラフィ・モニュマンタル(115×235cm)をシ     カゴで発表     「カトラン・リトグラフ」をアンドレ・ソレ社     より刊行 1991 シカゴのアート・エクスポに出展     パリ、ドゥ・フランコニー画廊で大型リトグ     ラフ展開催     パリ、アール・フランス画廊で個展開催 1992 エリジアム・アートで大型リトグラフとタピ     スリー展開催(ニューヨーク)     エクサン・プロヴァンスのフェスティバルの主     賓画家となる     東京、吉井画廊で邂逅25周年記念油彩展開催     画集『カトラン』を日本経済新聞社より刊行 1993 第10回タン・レルミタージュ・ワインフェアの     ポスター制作 1994 東京、大丸美術館で回顧展開催     (大阪、下関を巡回)     東京、吉井画廊で個展開催     パリ、デファンスのエセック国際マネジメン     ト開発で個展開催     パリ、アール・フランス画廊で個展開催 1995 フランス大統領ミッテランよりレジオン・ド     ヌール勲章を授与される     パリ、バガテル公園のトリアノンで個展開催 1996 パリ、ブキヌリ・ドゥ・ランスティテュで個     展開催     岡山県の天満山岡山店、葦川会館で個展開催     フランスドローム県の新しいポスターを制作 1997 ジュネーヴのフェア、ユーロパートに出展     サロン・ド・リーヴルに出展     フランス、ヴァランス美術館で回顧展開催     パリ、アール・フランス画廊で個展開催     東京、吉井画廊で邂逅30周年記念展開催 1998 シンガポール、アリアンスフランセーズでタピス     リー展     パリ、ブキヌリドゥランスティテュでリトグ     ラフ展     東京、ワコール・アート・センターでタピス     リー展 1999 ヴァンクーバー、ブシュレン・モワット画廊     で個展     フロリダ、フィルハーモニーアートセンター     で個展 2000 パリ、アール・フランス画廊で個展開催     上海の上海美術館で「カトラン絵画40年の回     顧展」 2001 東京、吉井画廊で個展開催     広島、尾道白樺美術館で個展開催 2004 4月17日心臓疾患でパリ市内の自宅にて逝去     享年84歳ベルナール カトラン紫陽花 華麗な色彩の中に静謐な禅の形而上的思索をにじませ、 抽象と具象のはざまの世界を表現し、日本文化の精神的 風土に育まれた画韻を持っているベルナール・カトラン

版画 -> 石版画(リトグラフ)

藤城清治 夢がとぶ リトグラフ 鉛筆直筆サイン 2002年

 作家名 藤城清治  制作年 2002  技法 リトグラフ  絵サイズ 54.5X横61.0cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦79.8X横83.6cm  額の状態 ほぼ良好  限定 500部  サイン 藤城清治鉛筆サイン  額の仕様 金装飾額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込108,000円  定価 26万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 藤城清治年譜(1924- ) 1924 4月17日東京に生まれる1936 慶應普通部に入学    仙波均平に水彩画、油絵、エッチングを教わる1940 慶應大学経済学部予科(高校)に入りパレット    クラブに入部    ピカソ、マチスなどモダニズムにあこがれる1941 独立美術協会展、国画会展、春陽会展等に入選1942 猪熊弦一郎氏、脇田和氏に師事    新制派展に入選    銀座菊屋で第1回個展開催    勤労動員中に横浜ゴム会議室で第2回個展開催    フランス文学井汲清治教授から薫陶を受ける1943 5期海軍予備学生として、滋賀海軍航空隊に入    隊、翌年少尉になる    九十九里浜の沿岸防備につき、少年兵達と人    形劇を演じる1945 終戦により大学に戻り、パレットクラブ、児童    文化研究会で油絵と人形劇の制作活動に励む1946 慶応の講師で人形劇研究家の小沢愛圀氏によ    りアジアの影絵芝居と出合う    教会の日曜学校で学生たちと影絵劇を始める1947 慶應義塾大学経済学部卒業    セミプロ劇団「人形と影絵の劇場ジュヌ・パ    ントル」を結成    東京興行(現在のテアトル東京)に入社    宣伝部に勤務、テアトル銀座、銀座全線座の1948 花森安治氏に認められ、「暮しの手帖」に影    絵を連載    慶應三田演説館で連続的に影絵劇を上演1949 銀座資生堂で第3回個展(油絵)を開く1950 最初の影絵の絵本「ぶどう酒びんのふしぎな    旅」を暮しの手帖社から出版1951 テアトル東京をやめ、フリーとなる    影絵の絵本「浦島太郎」(文・中谷宇吉朗)を出    し、ベストセラーになる    銀座交詢社ホールで初めての影絵劇の大作「せ    むしの子馬」を上演、作曲を伊福部昭氏に依    頼、伊福部昭指揮の生オーケストラで上演す    ると大きな反響をよぶ1952 NHK TVの試験放送がはじまり、NHKの専属    となる    人形と影絵の劇場ジュヌ・パントルを木馬座    と改名する1953 朝日新聞に毎日曜、影絵を連載、約5年続ける1954 人形と影絵を中心とした児童文化誌「絵本木    馬」を創刊、14号まで続けた    影絵劇「泣いた赤鬼」が東京都児童演劇コンク    ール奨励賞を受賞-音楽は山下毅雄氏1955 三島楽寿園で人形劇と影絵劇を春と秋それぞ    れ3ヶ月以上上演、以後3年間続ける1956 影絵劇「銀河鉄道の夜」が国際演劇参加読売    児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ協会連盟賞    受賞    影絵の絵本トンチキ・プー(文・北畠八穂)を福    音館書店より出版1957 民放TBS放送で「影絵名作アルバム」を生放送1958 中央公論に「西遊記」(文・邱永漢)の影絵を5    年間連載    「影絵と詩のアルバム」等3冊出版    (さえら書房)    有楽町そごうで初の影絵展開催1960 初めての影絵画集「影絵」を東京創元社から    出版    影絵劇「海に落ちたピアノ」を大坂毎日ホー    ルで初演1961 等身大ぬいぐるみ人形劇を創設1965 ぬいぐるみ人形劇「ヘンゼルとグレーテル」に    当時学習院幼稚園児でいらした天皇陛下がご    観劇(三越劇場)1966 TV番組「木馬座アワー」を自主提供、スポン    サー、プロデューサー、演出、出演者を兼ね、    そのオリジナルキャラクター「ケロヨン」が    爆発的人気を呼ぶ1967 日本武道館で木馬座ケロヨンショーを以後4    年間のGW、クリスマス、正月に計11回の公演    を行う1970 大阪万博に「ケロヨンショー」で参加1971 テレビ東京で「ベーパック」を放映、人気を呼ぶ1972 木馬座解散、新館スタジオを売却    再びジュヌパントルとなり影絵を主体に活動1973 新宿伊勢丹で「大影絵展」をひらく1974 「暮しの手帖」にカラー影絵の連載をはじめる1976 ポプラ社から「鼓をうつ少年」(文・今西祐行)    を出版1977 「藤城清治影絵画集」を講談社から出版1978 影絵の絵本「天の笛」(文・斉藤隆介)を校成出    版より出版    影絵の絵本「旅のらくだ」を岩崎書店から出版    花森安治が死去1979 大阪ロイヤルホテルで暮しの手帖の作品によ    る影絵原画展を以後毎年開く1980 影絵画集「遠い日の風景から」「ヨーロッパの    森の中で」を講談社から出版    影絵劇「シャクンタラー姫」が厚生省児童福    祉文化奨励賞を受賞1981 影絵画集「イエス」を出版    (日本基督教団出版局)1982 国際交流基金の派遣により文化親善使節とし    てパキスタン、ヨルダン、エジプト、アラブ    首長国連邦等で影絵劇を上演    影絵劇「銀河鉄道の夜」が文化庁芸術祭の優    秀賞受賞、作曲は渡辺浦人氏    影絵の絵本「銀河鉄道の夜」を講談社から出版1983 絵本「銀河鉄道の夜」がチェコスロバキアの国    際絵本原画展BIBの金のリンゴ賞受賞1984 影絵の絵本「きん色の窓とピーター」、「ロン    ドン橋でひろった夢」、「お見舞いにきたぞう    さん」を暮しの手帖社から出版1986 エッセイ「影絵は一人ぼっち」を三水社から    出版    バンクーバーの86EXPOに出演    サンフランシスコで東郷健企画、藤城演出美    術で「無限」を上演1987 ニューヨークで影絵原画展を開催    ニューヨークで影絵劇「人魚姫」を上演    香港アートフェスティバルで影絵劇「鶴の恩    返し」を上演1989 紫綬褒章を受章    仙台鐘崎笹かま館に15mの影絵の大壁画を    制作1990 長崎博覧会に3ヶ月ライブで上演、作曲北村    得夫以後博覧会には北村得夫氏とコンビを組    むようになる1992 イタリア、ジェノバの国際船と海の博覧会の    公式ポスター制作    山梨県昇仙峡に、影絵美術館開設1993 '93エキスポ大賞受賞1994 静岡県中川根の茶茖館に影絵壁画制作1995 勲四等旭日小綬章を受章1996 長野県白樺湖に影絵美術館開設    高さ9mの大壁画、、全長30mの全円周壁画    を制作1997 影絵の絵本「ウィー・アー・ザ・ワールド・歌が    世界を動かした」を作曲家北村得夫と共に星    の環会から出版    長野県上田市のJRの上田駅ロビーに影絵壁    画「流響」を制作    ‘97エキスポ地球振興賞受賞1998 北海道紋別郡生田原町の、木のおもちゃワー    ルド館内に影絵美術館開設    縦9mX横18mの、世界最大の影絵壁画「光彩陸    離」完成1999 名古屋市伊藤病院の老人保険施設「あんず」ロ    ビーに影絵壁画「生命賛歌」を制作    日本児童文芸家協会より児童文化特別功労賞    を受賞2001 愛子内親王殿下ご誕生記念作品「夢がとぶ」    を制作2003 美術出版社から影絵画集「藤城清治作品集 愛    を謳う光と影」出版    佼成出版社から「光は歌い・影は踊る」-藤    城清治のアートー(エッセイ集)を出版2004 銀座いろはかるた」を製作    カルピス新本社ビルのロビーに壁画「愛の    泉」を製作    東京都写真美術館で80才傘寿を記念した   「藤城清治の世界展」を開催    2ヶ月で来場者6万人を超す2006 秋篠宮家悠仁親王殿下ご誕生記念作品「夢生    まれる」を制作    実際にドイツを旅し、ルードヴィッヒII世の    夢の結晶である、「ノイシュヴァンシュタイン    城」の影絵を制作2007 岩崎学園新築校舎正面(東戸塚)に陶板壁画    「四季のよろこび」と「日輪」を、室内に影絵原    画「ともしび」を制作2008 『創作活動65周年記念作品集愛蔵本「希望」と     豪華本「愛」』を美術出版から出版2010 影絵絵本「ぶどう酒びんのふしぎな旅」(原著・    アンデルセン)を60年ぶりにカラーで再制作    し講談社より出版    絵本「マボロシの鳥」(原著・太田光)を講談    社より出版2011 「藤城清治 88歳祈念写真集」(撮影・沢渡朔)    を新潟日報事業社より出版2012 影絵の絵本「セロ弾きのゴーシュ」(原著・宮沢    賢治)を講談社より出版2013 藤城清治美術館那須高原が栃木県那須町にオ    ープン    第36回 巌谷小波文芸賞を受賞    藤城清治作品集「光の祈り」を白泉社より出版2014 影絵の絵本「風の又三郎」(原著・宮沢賢治)を    講談社より出版    第24回宮沢賢治賞受賞    明治神宮より依頼を受け影絵壁画「明治神宮     昭憲皇太后」を制作2015 「藤城清治の旅する影絵日本」を講談社より    出版2016 絵本「ブーちゃん」を講談社より出版   「アッシジの聖フランシスコ」(絵、文・藤    城清治)を女子パウロ会より出版 2017 「藤城清治 影絵の絵本 グリム」出版(講談社)2018 影絵絵本「藤城清治 影絵の絵本 アンデルセン」    を講談社から出版2019 宮崎空港にステンドグラス完成藤城清治 夢がとぶ 影絵界の第一人者"光と影の 詩人"と謳われる藤城清治  昇る朝日の輝きのなかで元気に飛び跳ねる子供が、幸せを運ンで来るといわれるこうのとりや、 リスなどの森の動物たちに見守られています。 この作品は、皇太子妃殿下雅子様のはじめてのお子様である愛子様のご誕生を祝って、慶びの気 持ちを込めて制作した作品です。

版画 -> 石版画(リトグラフ)

荻須高徳 リトグラフ 赤い家 1978

 作家名 荻須高徳  制作年 1978  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦30X横40cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦61.3X横70.5cm  額の状態 新  品  限定 185部  サイン 荻須高徳鉛筆サイン  額の仕様 金黒虫食額縁  マット 麻布マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 荻須高徳年譜 1901 11月30日愛知県中島郡(現稲沢市)に生まれる 1908 千代田尋常高等小学校入学 1916 愛知県立第三中学校(現津島高等学校)入学 1921 上京し川端画学校に学び、藤島武二に師事 1922 東京美術学校西洋画科入学 1927 東京美術学校卒業     渡仏 1928 佐伯祐三らとモラン写生旅行を行う     この頃からサインは細い独特の文字で「OGUISS」     と描くようになる     モンパルナスのアトリエに居を定める     初めてのサロン・ドートンヌに2点を出品     サロン・ドートンヌに初入選 1930 パリのル・ステュディオ画廊にて初個展を開催 1931 サロン・デ・チュイルリーに招待されて出品 1933 オルドネール189番地のアトリエに入居 1934 ジュネーブ市立ラット美術館でスイスにおける     最初の個展を開催する 1936 アラール画廊で個展を開催     「プラス・サン・タンドレ・ザール」がフランス     政府買上げとなる     サロン・ドートンヌ会員に推挙される 1937 パリ万国博覧会美術展に「ガラージュ」を出品 1940 サロン・ドートンヌ出品作「街角」がパリ市買上げ     となる     帰国     新制作協会会員に迎えられ、第5回展に滞欧作を     特別陳列 1944 横江美代子と結婚 1946 長女恵美子生れる 1948 戦後初めて日本人画家として、再渡仏     以後パリを中心に制作活動を展開 1949 モナコで開催されたモナコ賞展で大賞を受賞 1953 フランス美術批評家協会からポピュリスト絵画賞を     贈られる 1954 「ヨーロッパ画壇における活躍と日本美術界への貢     献」に対して第5回毎日美術賞(特別賞)を贈られる     日本外務省から日仏文化協定混合委員を委嘱される 1955 神奈川県立近代美術館で「荻須高徳展」を開催 136点     を出品する 1956 パリ市立近代美術館「フランスと世界の画家展」に出品     ブリジストン美術で荻須高徳展が開催される     フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される 1961 サロン・デ・トロアS(フォンテーヌブロー)で大賞受賞 1932 サロン・アニエールに出品し受賞 1964 ロンドンのウィルデンシュタイン主催の「パリ記念展」     に出品 1965 毎日賞受賞記念大荻須高徳展(東京などで開催) 1966 モンテ・カルロ・テレビジョン国際フェスティバルの     審査員として招かれる 1967 ムルロー工房で最初のリトグラフ(石版画)制作 1968 サロン・デ・ザルッティスト・アンデパンダンに出品 1970 トルーヴィル国際ビエンナーレに出品 1971 神奈川県立近代美術館にて萩須高徳展開催 1972 勲三等旭日章に授章     中日文化賞受賞 1974 パリ市よりメダイユ・ドヴェルメイユ授与 1978 パリのシャトー・ド・バガテルで「荻須高徳パリ在住50     年記念回顧展」がパリ市主催で開催される 1980 荻須高徳稲沢市名誉市民に推挙される     歳稲沢市に油彩画《金のかたつむり》を寄贈 1981 文化功労者に顕賞され10年ぶりに帰国 1982 フランス国立造幣局が、荻須高徳の肖像を     浮彫にしたメダイユを発行する 1983 生地の愛知県稲沢市に稲沢市荻須高徳記念美術館が開館 1986 10月14日パリアトリエで制作中に逝去     享年84歳     文化勲章受章荻須高徳 赤い家 パリの街を愛し、生き、そして描いた 画家・荻須高徳 温かい眼差しと筆致で、パリの心を捉えた荻須芸術の世界

版画 -> 石版画(リトグラフ)

中島千波 リトグラフ 1997年 額味彩

 作家名 中島千波  制作年 1997年  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦35.8X横46cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦59X横68.5cm  額の状態 ほぼ良好  限定 380部  サイン 中島千波鉛筆サイン  落款 千波印  額の仕様 金木生地日本画額縁  マット グレー光沢布マット 格安卸価格税込79,920円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 中島千波年譜(1945- ) 1945 日本画家中島清之の三男として、長野県小布施     町に生まれる 1948 神奈川県横浜市に帰郷 1969 東京藝術大学日本画科卒業     第54回院展初入選     第四回神奈川県展にて受賞 1971 東京藝術大学大学院修了大学院を修了     第1回山種美術館賞展出品     日本美術院院友推挙 1974 現代日本美術選抜展に「草の主」が選抜出品     栃木県立美術館に収蔵される 1979 第5回山種美術館賞展で「衆生・視」優秀賞受賞 1980 第6回山種美術館賞展招待     第二回日本秀作美術館展に選抜出品 1983 裸体画100年の歩み展に出品 1984 横の会結成に参加     (以後、平成5年の最終回まで出品) 1985 東京セントラル美術館第一回日本画裸婦大賞展大賞受賞     津島佑子の小説『夜の光に追われて』挿絵制作 1986 「戦後生まれの作家たち」に出品     現代日本美術の動勢-絵画PART1に出品 1987 NHKテレビ『きょうの料理』のテキスト表紙絵を制作     戸板康二『食卓の微笑』の挿絵を制作 1988 宮尾登美子の小説『きのね』の挿絵を制作 1989 ベルギー・ユーロバリア’89・ジャパン現代日本画展に出品 1990 国際花と緑の展覧会に「御車返の桜」を出品     横浜三渓谷臨春閣襖絵「不二と桃花図」「松林図」完成     日本美術院特待となる    「中島千波展」開催(日本橋・高島屋) 1991 第46回春の院展奨励賞受賞     第76回院展奨励賞受賞 1992 長野県に「おぶせミュージアム・中島千波館」開館     永井路子の小説『姫の戦国』の挿絵を制作 1993 横浜にて中島千波展開催 1994 鎌倉鶴が岡八幡宮 斎官貴賓室床の間壁画完成披露    〈日和麗麗孔雀の図〉     東京芸術大学助教授となる     歌舞伎座の筋書表紙絵を1年間制作     中島千波「裸婦とデッサン」展開催     小布施中学校鳳凰アリーナ緞帳「北信秋果豊穣」が完成 1995 歌舞伎座緞帳「淡紅白梅図」が完成     「ひと はな いのちのフォルム」中島千波展をパリにて開催     四曲半双屏風「身延山枝垂桜」を制作 1996 日本橋三越本店にてパリ展の帰国記念展開催     四曲半双屏風「天龍寺の枝垂桜」制作     NHK教育テレビ「連画-アトリエを飛び出した画家たち」に参加     伊藤彬,中野嘉之,林功とグループ「目」結成,第一回展開催     パリ展帰国記念「中島千波展」開催    (小布施、東京、京都などを巡回) 1997 「中島千波の花宴展」を京都・東京で開催     おぶせミュージアム開館5周年記念「中島千波 富士」展開催 1998 「花と富士 中島千波屏風絵展」を東京で開催     「中島千波の花宴」展が、京都、東京を巡回     日本美術院退会、無所属となる 1999 「中島千波屏風絵展〈花と富士〉」開催     宮尾登美子の小説『宮尾本平家物語』挿絵を制作     (~2003) 2000 東京藝術大学美術学部教授に就任    「日本画の100年」展に「坪井の枝垂桜」を出品    「中島千波 日本画とデッサン展」開催 2001 深川不動尊内仏殿格天井画の原画完成、奉納     日本画入門「木のかたち、人のかたち」展開催     成田山東京別院深川不動内仏殿の建立を記念した     天井画の原画を完成     中島千波「平家物語」挿絵展-白虎之巻-開催    「デザインの風」展に「坪井の枝垂桜」を出品 2002 NHK教育テレビ番組趣味悠々「日本画基礎講座 花を描く」     の講師を務める     CAMK流現代「日本画」の精華展に「一心行の桜」が     招待出品される     おぶせミュージアム開館10周年記念「絵師・中島千波の世界     展」開催 2003 NHKテレビ「日本のうた絵巻 ふるさとの春 中島千波」出演     「美術館からこんにちは-中島千波 人へのまなざし展」 2004 深川不動堂の内仏殿格天井画<大日如来蓮池図>完成    『NHK趣味の園芸テキスト』の表紙絵を担当制作     想-願-祈 中島千波・天井画を描く展」開催     奈良県・當麻寺中之坊客段絵天井の寄進を呼びかけ     「夜桜」「白牡丹」奉納 2005 「花の心を描く 中島千波屏風の世界展」開催     (日本橋三越)(~2006) 2007 東京芸術大学創立120周年記念企画日本美術「今」展開催 2008 花がたり-中島千波展-おもちゃシリーズ(高島屋各店舗) 2010 中島千波の花菖蒲の世界展〈平成花菖蒲〉    (日本橋・三越本店新館)     四曲七隻屏風「神池花菖蒲」が披露された    (福岡、松山、高松三越巡回)     第15回21世紀の目展〈目―それぞれのかたち〉    (日本橋・高島屋ほか巡回) 2011 NHKBSプレミアム「旅のチカラ」「まぼろしの牡丹 中国・玉龍     雪山」の取材のため中国雲南省・玉龍雪山を訪れる     中野嘉之 畠中光享と共に公募グループ展「Artist Group風」     を立ち上げる 2012 第1回「Artist Group風」(東京都美術館)     中島千波展宮尾本「平家物語」の挿画と花々の宴    (ウッドワン美術館)     おぶせミュージアム・中島千波館開館二十周年記念    「横浜美術館所蔵作品による中島千波・清之親子展」     東京藝術大学退官展(東京藝術大学美術館)中島千波 額味彩 桜の美に魅せられ、その姿を色鮮やかに表現し続ける日本画家

版画 -> 石版画(リトグラフ)

上村松園 娘深雪 シルクスクリーン 上村淳之監修無し

 作家名 上村松園  技法 シルクスクリーン  絵サイズ 縦78X横43cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦97X横61.9cm  額の状態 新  品  限定 250部  落款 朱 落 款  額の仕様 金日本画額縁  マット ベージュ布マット 格安卸価格税込39,960円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 上村松園年譜(1875-1979)1875 4月23日京都市下京区四条通御幸町の葉     茶屋「ちきり屋」の次女として生まれる    (本名:津禰:つね) 1887 京都府画学校入学(現:京都市立芸術大学)     鈴木松年の指導をうける 1888 雅号として「松園」を用いる     鈴木松年の辞職により京都府画学校を退学     し松年塾に入る 1890 第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出     品、一等褒状受賞(この絵を、来日中のヴィ     クトリア女王の三男アーサー王子が購入し     話題となった) 1893 幸野楳嶺に師事     隣家からの類焼の為、中京区高倉蛸薬師に     転居     市村水香に漢学を学び始める     農商務省より米国シカゴ万国博覧会に「四     季美人」出品 1895 楳嶺の死去にともない、竹内棲鳳(竹内栖     鳳)に師事 1900 第九回日本絵画協会日本美術院連合展で「     花ざかり」が銀牌受賞     パリ万国博覧会に「母子」を出品 1902 嗣了信太郎(松篁)生まれる 1903 茶屋を廃業し、中京区車屋町御池に転居     第五回内国勧業博覧会に「姉妹三人」出品 1907 文展(文部省美術展覧会)が開設され、第     一回展に「長夜」出品 1909 青木嵩山堂から「松園美人画譜」を出版     第十四回新古美術品展に「虫の音」出品 1911 ローマ万国博覧会に「上苑賞秋」「人形づ     かい」(旧作)出品 1914 間之町竹屋町に画室を竣工     初世金剛巌に謡曲を習い始める 1916 文展永久無鑑査となる     第十回文展に「月蝕の宵」出品 1918 先師・鈴木松年死去     第十一回文展出品 1924 第六回帝展審査員となる 1930 徳川喜久子姫・高松宮家御興入御依頼画「春     秋」制作     ローマ日本美術展に「伊勢大輔」出品 1931 ベルリン日本美術展に「虫干」出品     ドイツ政府の希望により同作品を国立美術     館に寄贈赤十字賞受賞 1934 第15回帝展に「母子」出品     大礼記念京都美術展に「青眉」出品     帝展参与となる     母・仲子死去 1935 竹内栖鳳、土田麦僊ら十七名によるグルー     プ春虹会に参加     第一回展に「天保歌妓」を出品     第一回三越日本画展に「鴛鴦髷」出品 1936 新文展(文部省美術展覧会)の招待展に「序     の舞」出品     第二回春虹展に「春宵」を出品 1940 ニューヨーク万国博覧会に「鼓の音」出品     第六回珊々会展に「若葉」出品 1941 帝国芸術院会員となる     第四回文展に「晴日」出品     三谷十糸子と中国に旅行 1944 帝室技芸員に就任 1945 奈良県生駒郡平城の松篁の画室である唳禽     荘(れいきんそう)に疎開する 1956 第一回日展審査員となる 1948 文化勲章受賞     白寿会展に「庭の雪」出品 1949 8月27日、肺癌により死去     従四位に叙される享年74歳     法名は、寿慶院釋尼松園上村松園 娘深雪上村淳之監修無 真・善・美の極致に達した本格的な美人画  近世初期風俗画や浮世絵など人物表現の伝統 の厚みを受け止める一方で対象の内面や精神 性の表現が追求された近代という時代と向き 合い自身ならではの人物画を模索した画家  この作品を上村淳之は監修しておりません

版画 -> シルクスクリーン

ジャン ピエール カシニョール リトグラフ バルバラ(サイン無) Jean Pierre Cassigneul 1986

 作家名 カシニョール  制作年 1986  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦29.8X横21.7cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦34.6X横31.5cm  額の状態 ほぼ良好  限定 限定3000部  サイン サイン無(カタログレゾネより)  額の仕様 金装飾額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込49,680円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 ジャン ピエール カシニョールJean-Pierre Cassigneul カシニョール年譜 1935 7月13日パリに生まれる 1952 パリ、ルシー・クロッグ画廊にて初個展 1954 シャルパンティエ・アカデミー校入学     パリ美術学校教授ジャン・スヴェルビィに師事 1955 パリ美術学校入学     シャプラン・ミディの教室に学ぶ 1958 パリ、ボザール画廊にて個展 1959 サロン・ドートンヌ会員に推挙 1963 若手画家展に出品 1964 パリ,ティヴェイ・フォコン画廊にて個展     日本の画商・為永清司と出会う     リディス出版のノエル・シューマンを知りジョセフ・     ケッセル著『不幸の塔』4巻に挿画を描く 1965 初めてリトグラフ作品を制作     パリ、ベルシャス画廊にて個展 1966 東京の国際形象展に出品     以後毎年参加する     パリ、ベルシャス画廊にて個展 1968 アメリカ,パームビーチ、ワレス画廊にて個展     パリ、ヴィタル画廊にて個展     アメリカ人画商ウォリー・フィンドレイに出会う 1969 東京、三越にてリトグラフ展開催 1970 アメリカ、パーム・ビーチ、NYの     ウォリー・フィンドレイ画廊にて個展     初来日、3ヵ月滞在     東京三越ギャラリーで大規模な個展開催 1972 シカゴ,ウォリー・フィンドレイ画廊にて個展 1973 パーム・ビーチとNYのウォリー・フィンドレイ     画廊にて個展     東京、ギャルリーためながにて個展     版元アラン・マゾに出会う     ジャン・フランソワ・ジョスランの著作の『散歩す     る婦人達』版画集をマゾ出版から刊行 1974 パリとニューヨークのウォリー・フィンドレイ画廊     にて個展 1975 ニューヨーク、ウォリー・フィンドレイ画廊にて個展 1976 マゾ出版から「版画集」を刊行、シャルルソルリエが     序文を執筆     東京、三越にて個展     マゾ出版から版画集『公園』を刊行 1977 リディス社から刊行されたリトグラフ30点組版画集     シャルル・ボードレール著「悪の華」の出版を記念して     パリ、ルネ・キフェール画廊で個展     パリ、ウォリー・フィンドレイ画廊にて個展、油彩画     とパステル画を展示 1978 ビジョン・ヌーベルにてリトグラフ展を開催     ニューヨーク、ウォリー・フィンドレイ画廊にて個展     第2回の来日、東京、三越ギャラリーにて大規模な個     展を開催 1979 友人フェリッツ・イスカンとともに第3回目の来日 1980 パリ,アトリエ3で初めてのタピスリーを制作     パリとNYのウォリー・フィンドレイ画廊で油彩画と     タピスリーの個展     パリ、ピエール・オト画廊でリトグラフ展を開催 1981 第4回の来日、東京、三越にて個展     三越劇場のために油絵の大作を制作     黒柳徹子の肖像を描く 1982 香港、デュ・モンド画廊にて個展     パリ、ウォリー・フィンドレイ画廊で個展     油彩画、素描、タピスリーが展示される     パリのマティニョン画廊にて、ギルヴィックの詩の為     の版画集「まなざし」(マゾ出版)の出版記念展開催 1983 油彩画を収録した「カシニョール画集」     (ニース、ド・フランコニー社刊)     東京、ギャラリーミキモト、大阪、都画廊、名古屋、     国際サロンで開催された出版記念展のために来日     リトグラフ展開催(東京、ギャラリー新宿高野)     パリ、ウォリー・フィンドレイ画廊で「カシニョール画集」     の出版記念展開催 1984 名古屋松坂屋にて、ラ・コレクションフランセーズ社から     刊行されたリトグラフ集『南回り』出版記念展開催     油彩画、素描などあわせて展示     NYアートエキスポエンリコナヴァラのブースでリトグラ     フの個展開催     東京ギャルリーためながで開かれた油彩画展の為に来日     スイス、バーゼル国際美術展に出品 1985 新宿高野百周年記念-カシニョールリトグラフグラフ展     開催(ギャラリー新宿高野)     ニューヨーク、アート・エキスポのエンリコ・ナヴァラ     のブースで個展を開催     リトグラフ屏風『リュクサンブール公園』を制作     ラ・ブキヌリー・ド・ランスティチュに展示     ACマゾ出版から、8枚組銅版画集「顔」を刊行     アカデミー・フランセーズ会員モーリスランスが序文を     執筆     パリ、ジャクマール・アンドレ美術館で開催されたFIEST     (国際版画見本市)のエンリコ・ナヴァラのブースにて     個展 1986 ド・フランコニー社からリトグラフと銅版画のカタログ     レゾネ『カシニョール版画カタログレゾネ』刊行     (2巻セット) 1987 ニューヨーク、アート・エキスポにて個展     スイス、バーゼル国際美術展に出品     パリ、ラ・ブキヌリー・ドランスティチュートにてドローイ     ング展     パリ市長主催でトリアノンバガテルて個展 1988 講談社より画集『カシニョール』刊行     黒柳徹子、深田祐介が執筆     東京の資生堂ギャラリーにて個展     スイス、バーゼル国際美術展に出品     ニューヨーク、アート・エキスポに出品     長崎大丸の新装オープンを記念して個展     長崎市の依頼で油彩画を制作     マルセイユ、マルタン・ブレス画廊にて版画展 1989 東京、プランタン銀座にて個展     ニューヨーク、アート・エキスポに出品     エドマンド・ニューマン社制作、出版によるシルクスク     リーン「バガテル」及び銀製レリーフ「りんごの木」を発表 1990 朝日新聞社主催により、東京、大阪、京都、博多の大丸ミュ     ージアムにて個展     大阪「花と緑の博覧会」公式ポスターを制作     NTTの依頼で電話百年事業の記念に油彩制作     パリのランコム杯(ゴルフトーナメント)のポスター制作     アメリカとフランスでのボリショイ・バレエ団の公演ポ     スターを制作     ハワイコオリナゴルフ場のために油彩とデッサンを制作 1991 版画集「気まぐれ」のために10枚のリトグラフをマゾ出版     より刊行、文章はフランソワーズ・サガンの未発表の作品     パリ、ラ・ブキヌリー・ドランスティチュートにて個展     カナダ、バンクーバーのブッシュラン・モワット画廊で個展     パリ、ミッシェルトランクベル出版より新たに貴重な油彩     の画集を刊行 1992 東京、プランタン銀座での個展     パリ、ラ・ブキヌリー・ドランスティチュートにてドロー     イング展     画文集『流れゆくままに』出版(日本経済新聞社) 1993 画集『カシニョール魅せられた夢』刊行(講談社)     名古屋、上野、横浜、大阪の松坂屋各店で個展を開催     ボリショイ・バレエ団の「リーズの結婚」のために舞台美術     と衣裳のデザインを担当、初日の公演に合わせてモスクワ     を訪れる 1994 東京、プランタン銀座にて個展     横浜そごうにて個展     ボリショイ・バレエ「リーズの結婚」日本公演開催     シャルトルのJ.ロワール工房にて、品川プリンス・ホテル     のためのステンドグラス『楽園』を制作     伊豆一碧湖美術館開館、約150点の作品を常設 1995 日本各地の12都市にて150点のリトグラフ展 1996 東京、大丸ミュージアムにて油彩、デッサン、タピスリー等     約100点を展示した回顧展を開催(朝日新聞社主催)     京都、高知、福岡の大丸各店を巡回     165周年を記念して横浜、神戸、千葉、広島そごうで個展 1997 東京、プランタン銀座の13周年記念個展     浅間プリンスホテルオープン、ロビー用タピスリー「夏の庭」     を公開     東京、プランタン銀座にてドローイング展 1998 講談社より『カシニョールの世界』刊行     名古屋松坂屋美術館を皮切りに東京、横浜静岡の各店で個展     油彩画、デッサン、タピスリー等約100点が展示される     そごう神戸、大宮、千葉、横浜にて個展 1999 プランタン銀座の15周年を記念し個展を開催     梅田大丸にて個展     広島そごうにて個展 2000 東京、プランタン銀座の16周年を記念し、新作油彩画を中心に     個展を開催     博多大丸にて個展カシニョール バルバラ(サイン無) 優美な色彩とエレガントな雰囲気な女性像で世界中 で愛され続けているフランス画壇の巨匠カシニョール

版画 -> 石版画(リトグラフ)

ヒロヤマガタ シルクスクリーン 1999 アースリーインベニス

 作家名 ヒロヤマガタ  制作年 1999年  技法 シルクスクリーン  絵サイズ 縦53.5X横67.5cm  絵の状態 良  好  限定 Private Collection 100部  サイン ヒロヤマガタ 鉛筆サイン  額サイズ 縦86.5X横99cm  額の仕様 白光沢額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込59,400円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 新品額装してお届けしますので12日程納品にお時間を頂きます ヒロヤマガタ年譜 1948 5月30日滋賀県米原市に材木屋の父のもと6人姉弟の    3番目として産まれる1955 米原町立醒井小学校(現米原市立河南小学校)に入学1972 五海祐治、崔洋一、篠毅らと共同で「JIM」を渋谷に    設立    恋人を追いかけミラノへ渡るが実らずその後パリへ渡    り定住1973 パリの画廊と契約    ウィーンで初の個展を開催    以後、ロサンゼルスへ移住するまでパリを拠点に様々    なサロンへ出展すると同時に、ヨーロッパ各地で個展    を開催1974 レーザーを使ったインスタレーションをパリ市内の劇    場で初めて実施する1978 ロサンゼルスのマーチンローレンス画廊と契約してロ    サンゼルスに移住    版画的技法のシルクスクリーンで、100色以上もの色を    散りばめた鮮やかな多色作風により、一躍その名を馳    せる1983 「エア・ショー」が、レーガン大統領が名誉会長であった    人類飛行200周年記念財団の公式ポスターに選ばれる。    後に「ヤマガタ・ブルー」と称される鮮やかな青色の世    界を確立 1984 ロサンゼルス市観光誘致キャンペーン公式作品を制作    ロードアイランド州が9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」    に定め、同州のウォリック市より名誉市民の称号が贈    られる    東京で初の個展が開催される1986 ロサンゼルス市名誉市民に選ばれる    レーガン大統領の依頼で「自由の女神100周年記念」のため    の公式作品を制作    エドワード・ケネディ議員の呼びかけでケネディ財団主催    のアートを通じた障害者支援チャリティープロジェクト    「ベリー・スペシャ・アーツ」に参加    東京、大阪、名古屋、横浜、福岡で巡回展を開催1987 ヤマガタ財団設立    ケネディ財団と共同で身体障害者のチャリティイベン    トを開催    「自選山形博導画集」が出版1988 「オーストラリア建国記念」「エッフェル塔100周年」等    の公式作品、レーガン大統領肖像画を制作    ジャック・ニクラスと共同でゴルフシリーズ開始1989 東京、静岡、名古屋、大阪で巡回展を開催    エリザベス・テイラーとの友情を通じてアメリカン・フ    ァンデーション・オブ・エイズ・リサーチへの寄付を    開始    サンフランシスコ地震被災者救済のために「ファイア    ー・ワークス」の全売上を赤十字社へ寄付1990 アーノルド・シュワルツェネッガーがテキストを書い    た英語版画集「YAMAGATA」が出版される    「アメリカ移民200周年」、ベルリンの「フリーダム・    キャンペーン」公式作品を制作    メキシコシティ国立美術館で個展開催1991 「コロンブス新大陸発見500年記念」、世界陸上の公式    作品を制作1992 バルセロナ・オリンピックの公式作品を制作    米国ウォルト・ディズニーアートクラシックインクと    契約    金閣寺をモチーフに、京都「遷都1200年祭」の公式作品    を制作    障害を持つ人々の芸術活動の振興を行う国際組織「ベ    リー・スペシャル・アーツ」に600万ドルを寄付1993 ジーン・ケネディ・スミスと共に「ベリー・スペシャル・    アーツのインターナショナル・アート・フェステバルに    参加(ブリュッセル)    ジャック・ニクラスと共同でゴルフシ新シリーズの制    作を発表     エイズ・チャリティー・イベントのため来日1994 アレン・ギンズバーグらとビート・ジェネレーション    に関するドキュメンタリー映画制作の企画を開始    美しい自然のイメージをメルセデス・ベンツのヴィン     テージ・カーに描き出し「アースリーパラダイス」と    してロサンゼルス市立美術館で発表    なお、「アースリーパラダイス」は美術評論家サム・    ハンターによる命名である    また、同展のためにアレン・ギンズバーグが「ヒロ・    ヤマガタの聖霊20世紀の自動車」と題する文章を寄稿1995 米国オリンピック委員会の依頼でアトランタ・オリン    ピック全種目の作品を制作。同年「アースリーパラダ    イス」展を箱根、ヴェネツィア(アレン・ギンズバー    グとの合同展)、モンテカルロ、モンテカティーニ、    トリノにて開催1996 「アースリーパラダイス」展をシカゴで開催    カール16世グスタフ・スウェーデン国王に招かれ「アー    スリーパラダイス」展をストックホルムで開催1997 「アースリーパラダイス」展をカッセル(デニス・ホッパ    ーとの合同展)、ウィーンにて開催    「エタニティー・オア・ファット」展をロサンゼルスの    フレッド・ホフマン・ファイン・アート・ギャラリーシカ    ゴART1997で開催    アカデミー賞授賞式にて「アースリーパラダイス」の    イメージとレーザーインスタレーションのコラボレー    ションを発表    ホワイトハウスからの依頼で、アメリカ合衆国憲法制     定200周年記念の作品「ウィ・ザ・ピープル」を制作    同作品のシルクスクリーンは記念の豪華装丁本に納め    られ、全世界のアメリカ合衆国大使館に配布された1998 「アースリーパラダイス」展をローマで開催    レーザーインスタレーション「スカルプター・オブ・     ライト」展をLAファーストストリート橋にて開催    日本の心をテーマにした「日本のエッセンス」の制作    を開始    作画を担当した80円切手「おもちゃのチャチャチャ」が    郵政省より発行1999 「アメリカン・リップス」展をニューヨークのマルボロ    ギャラリーで開催    レーザーインスタレーション「ローマイヤーライツ」    をローマイヤー彫刻美術館(ミズーリ州セントルイス)    にて開催    米国ホワイトハウス設立200周年記念の公式作品制作    テレビ朝日の番組取材でチベット(ピヤトンガ遺跡)    を初めて訪れる 2000 シンシナティ現代美術センター(英語版)で開催され    たレーザーインスタレーショングループ展「アクティ    ブ・ライフ」(オハイオ)に参加    レーザーインスタレーション「太陽系インスタレーシ    ョンプロジェクト1」をヤマガタスタジオ(マリブ)で    開催    グラミー財団よりグラミー賞2000年公式アーティスト    に任命される2001 レーザーインスタレーション「NGC6093」をニューヨー    クのエースギャラリーで開催2002 レーザーインスタレーション「クウォンタン・インジ    ェクション」をペパーダイン大学(マリブ)で開催 2003 レーザーインスタレーション「ART宇宙芸術展-ヒロヤ    マガタとNASAの世界」を横浜国際客船ターミナル大桟    橋ホールで開催    レーザーインスタレーション「スーパーノヴァ3」展を    COSIコロンバス科学博物館(オハイオ州)で開催    「サンクトペテルブルク市政300周年記念イベント-音    と光の夜」(ロシア)にレーザーインスタレーションで    参加    「ヒロ・ヤマガタ原画」展を沖縄で開催 2004 レーザーインスタレーション「クウォンタン・フィール    ドX3」をグッゲンハイム美術館ビルバオ(スペイン)    にて開催2005 アフガニスタンのバーミヤーン仏教遺跡にて、破壊さ    れた大石仏像を復活させる試みとして、大掛かりなレ    ーザー光線でそのイメージを取り戻すと言う過去最大    規模のレーザーインスタレーション構想を発表    「アース・ウォーター・ファイアー・エアー・フェス    ティバル」(南アフリカ・ケープタウン)にレーザー    インスタレーションで参加2006 ペインティング作品「エアー」展をロサンゼルスのトー    ランス・アート・ミュージアムで開催    空間に鮮烈に描き出してきたレーザーインスタレーシ    ョンのパターンが、巨大なスケールのキャンバスにペ     インティングとして再構築されている    インスタレーション「スカルプター・オブ・ライト」を    BUSCHLEN MOWATT GALLERIES(パームデザート)    で開催2007 ペインティング作品「トランシエント」展をロサンゼ    ルスのゲーリー・パートナーズにて開催    巨大キャンバスに貼られた皺交じりの和紙に描き出さ    れた水墨の濃淡な世界ヒロヤマガタアースリーインベニス 色彩の魔術師、ポップでカラフルな 色調で世界を魅了するヒロヤマガタ 新品額装してお届けしますので12日程納品にお時間を頂きます

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